霊場、吉野・大峯(よしの・おおみね)

霊場、吉野・大峯(よしの・おおみね)は標高千数百メートル級の急峻な山々が続く修験道の聖地で、北部を「吉野」、南部を「大峯」 と呼びます。
既に10世紀中頃には、日本第一の霊山として中国にもその名が伝わるほどの崇敬を集めていました。
「吉野」は修験の隆盛に伴い、開祖とされる「役行者(えんのぎょうじゃ)」(7~8世紀頃)ゆかりの聖地として重視されました。
また、「大峯」は吉野と「熊野三山」とを結ぶ大峰山脈の総称であり、山岳での実践行を重んじる修験道では、 山に入って苦行を重ねながら踏破することを「奥駈(おくがけ)」あるいは「峰入」と称して最も重視されたそうです。
大峯はこの「奥駈」の舞台であり、日本各地から多くの修験者が訪れるところとなりました。当時より有名だった「吉野・大峯」 をモデルとして全国各地にたくさんの山岳霊場が形成されたといいます。
今でも残る数多くの行場や、拠点となる寺院・神社を結んで尾根筋をつたう「大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)」 が当時の姿のまま今でも多くの行者でにぎわっています。
また、吉野は桜の名所として名高いですが、これは霊木である桜を献木するという宗教行為によって植え続けられてきた賜物。 なおこの吉野の桜と桜の品種ソメイヨシノは関係はありません。
